大河ドラマ『真田丸』で知らないほうが良い真実!? – 真田幸村は美丈夫ではなかった、本当の容姿は?

この記事の所要時間: 356

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今回は知らないほうが良いかもしれない、知ったらガッカリする真実を書かせていただきます。

がっかりされましても責任は取れませんのでこれから先を読む際はお覚悟を(笑)。

また真田幸村という名前についてのエントリも宜しければ一緒にどうぞ→大河ドラマ『真田丸』を楽しむのに知っておいたほうが良い知識 – 真田幸村の本当の名前と他にもある名前

真田幸村が美丈夫であるというイメージ


これはゲームのイメージが非常に大きいかと思います。

『戦国無双』や『戦国BASARA』などでは、非常にイケメンな幸村が並み居る敵兵を蹴散らすPVが繰り広げられます。

またこれらのゲーム以前にもコーエーのシミュレーションゲーム『信長の野望』や『太閤立志伝』などでは、

能力の高い有名な武将はイケメンに描かれていました。それで少なからず、なんとなく格好良くイメージしている人もいると思います。

また事実においても、大阪冬の陣、夏の陣ともに華々しい活躍をし、徳川家康をとことん追い詰めた人ですから真田幸村をさぞかし勇猛な武将だと思っている人もいると思います。


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無名だった真田幸村


そもそも真田幸村が戦場において活躍し、その名が天下に知れ渡ったのは大阪冬の陣のこと。真田丸の戦いがきっかけです。それまではまったく無名でした。

真田幸村が豊臣家の要望に応え流刑地から脱出し、大阪城に入ったとき、徳川家康は真田家の者が大阪城に入ったと聞いたようです。それで徳川家康は


「入ったのは親(真田昌幸)か?子(真田幸村)か?」


と聞いて震えだし、それが幸村の方だとわかると安心した、という話があります。

徳川家康は、第一次上田合戦、第二次上田合戦で真田昌幸に痛い目にあっています(正確には痛い目にあったのは家康本人ではないですが)。そのため親(真田昌幸)を非常に警戒していた、というエピソードです。

幸村が入ったことで安心した、という程当時は知られた存在ではなかったわけですが、もちろんその後、徳川家康は今度は子により大苦戦させられることになります。


非常にみすぼらしい風貌であった真田幸村


さて、実際の真田幸村の容貌に関してですが、

大阪冬・夏の陣を真田幸村と共に戦った後藤又兵衛の近習(「きんじゅ」または「きんじゅう」と読みます。武将のそばに仕える人のことです)の証言が残っていますが、それによれば

「体格は小柄、大阪城に入場した時には髪もひげもすっかり白くなり、前歯も抜けていて、まるで老人の様な風貌だった」のだそうです。

いやはや、一見するとこれで戦えるのか?という様な外見ですね。

また、いまいち裏が取れない情報ですが、大阪城入場の際、門番は例の真田幸村の容貌を見て、山賊か何かと勘違いした、という話もあります。

やはりゲームなどに描かれる勇壮なイケメンからはほど遠いですね・・・。


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有名な真田の赤備え、実際には無かった?


また真田幸村というか真田と言えば「真田の赤備え」が有名です。赤色の甲冑で突撃する武者たち、想像するとその勇猛さ、豪壮さが目に見えるようですが、これがどうやら事実では無さそうなのです。

上田市立博物館所蔵の真田昌幸所用の具足はいわゆる「赤備え」ではないです。

また昌幸の父、つまり幸隆の時代も、さらに大阪冬の陣・夏の陣を記した当時の文献にも真田隊が赤備えであった、という資料は存在しないのだそうです。幸村の兄、信之が初代藩主となった松代藩の資料にもやはり証拠がありません。

一方、「大阪夏の陣屏風」というものがあります。これはこの戦の後に徳川方の黒田長政が描かせたものだと言われているものです。

こちらには真田幸村隊が赤い、つまり赤備えに描かれています。

これは私の持つ書籍では、先ほどのように赤備えの証拠が無いことからも、これは担当絵師が戦場で華々しい活躍をした幸村隊を印象づけるための配慮だったのでは?とのことでした。

どちらが真実なのかは、皆さんに委ねることにしましょう。


まとめ


真田幸村はゲームに描かれるようなイケメンではなかったです。むしろみすぼらしい(失礼!)外見だったようです。

また「真田の赤備え」も真実では無いかもしれません。

大河ドラマ『真田丸』では演出上も有名な赤備えで行くことでしょう。そのシーンを見た時は「本当は違うらしいぞ」とドヤ顔で言うと感心されるか鬱陶しがられるか分かりませんが話のネタにはなると思います(笑)。

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2 Responses to “大河ドラマ『真田丸』で知らないほうが良い真実!? – 真田幸村は美丈夫ではなかった、本当の容姿は?”

  1. なかやん より:

    果たして、長政の配慮だけで、屏風にあの立派な描き方をするのかな?真田幸村は確かに老いぼれていたかも知れません。が、真田隊はかれが結成した精鋭であることには変わりないとおもいます。

    • 一歴史好き より:

      コメントありがとうございます。

      屏風は私はあると思ってますね。敵を強く描くことで「それを倒した我々はもっと強い!」と宣伝するのは常套手段ですし(^^;
      真田隊が精鋭だったというのはまったく同意です(^^
      当初想定した作戦が失敗したゆえの突撃で家康をあそこまで追い込んだのですから、作戦がうまくいっていたらどうなっていたか・・・とは考えちゃいますねー。

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