大河ドラマ『真田丸』で知っておいたほうが良い歴史知識 – 真田家ゆかリの地真田郷と、真田家獲得の地沼田

この記事の所要時間: 540

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来年の大河ドラマ『真田丸』を楽しむために色々調べて記事にしています。

三谷幸喜さんの脚本がどうなるかは分かりませんが、歴史事実を知っていたほうが楽しめるのは明らかですから、この機に調べてみてはいかがでしょうか?

今回は真田氏がいた場所について調べました。

2015/11/27追記:知識が深まってきたのでわずかですが加筆しました。

真田家ゆかりの地、真田郷 – 長野県上田市


信州上田、というのを聞いたことがある人もいるかと思います。信州は今の長野県です。その上田市が真田家発祥の地です。

かつては「真田町」というある種そのままの地名があったのですが、小泉純一郎内閣時代の市町村合併により消滅し、上田市の一部となっています。

なのでゆかりの地を現代の地名で言えば上田市になるのですが、それだと広すぎます。ウィキペディアに真田町の項目があり、真田町の場所も地図で示されているので確認してみると良いでしょう。

「真田家発祥の地」はGoogleマップでも確認できます。こちらです。



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はっきりしない真田家の創始


真田家が歴史に登場するのは真田幸隆(幸綱)からです。この人は真田幸村の祖父になります。そしてこの幸隆よりも前の代というのがはっきりしていないようです。

一応ルーツとしては、長野県(当時は信濃国)の平安時代からの豪族、滋野氏の本家筋にあたる海野(うんの)氏にゆかりがあるようなのですが、非常にややこしいですね。

幸隆の時代、真田郷は村上義清により奪われてしまいます。その後真田幸隆は武田信玄(当時晴信?)に臣従します。武田家家臣としての真田家の始まりです。

その武田はその後村上義清を破り、それにより幸隆も自らの領地を取り戻すことに成功しました。


真田家が獲得した場所 – 群馬県沼田市


ゆかりの地では無いですが、群馬県の沼田市もまた、真田家と縁の深い場所です。これは真田幸村の父真田昌幸の時代に獲得した場所です。

真田昌幸は兄2人が長篠の戦いで戦死したことで、真田家を継ぐことになります。詳しくはこちらに書いております。

大河ドラマ『真田丸』を楽しめる知識 – 真田昌幸は三男。真田家を継げたのはなぜ?

武田勝頼は長篠の戦いの後、劣勢を挽回せんと領土拡大政策を取ります。これが結果として武田氏の寿命を縮めることになりますがそれは置いておいて。その一環で真田昌幸は、北条氏に攻め込むことを命じられました。

そうして真田昌幸が北条氏から攻め取ったのが無血開城で奪い取ったのが沼田城です。




一度は失うが取り戻す。そして沼田が原因で第一次上田合戦となる


ですが、武田家はその後滅亡。小大名として独立した真田昌幸は織田信長に近づきます。滝川一益の与力となり、真田郷こそ領土を安堵されたものの、沼田城は滝川一益のものとなりました。

ところが今度は本能寺の変で織田信長が横死。その後の混乱の中で「天正壬午の乱」と呼ばれる徳川・北条・上杉の3勢力による元武田家領地の切り取り合戦が始まります。

真田昌幸はこの3つとは比較にならない小大名ですが、この切り取り合戦に参戦。そしてあっという間に沼田城他を取り戻しました。もちろん北条氏は旧領を取り戻そうと攻め立てましたが昌幸はこれを守りきりました。

その後昌幸は北条、後に徳川家康に臣従します。そして徳川家康に領土を安堵されました。これで一安心と思いきや、徳川家康は豊臣秀吉と戦うことになります。いわゆる小牧・長久手の戦いです。

徳川家康は秀吉と戦っている間に北条に後ろを突かれないよう和睦を図ります。その際の条件の1つとして上がったのが沼田です。これを北条氏に返すということです。家康は昌幸に沼田城を明け渡すように説得に当たります。

ところが昌幸はこれを拒否。家康からもらった土地ならともかく、自らが奪い取った城を明け渡すなどできない、というのが理由です。

これにより真田昌幸は徳川家康と戦うことになりました。これが第一次上田合戦です。結果は真田昌幸の大勝です。


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三等分された沼田、そして今度は豊臣秀吉の北条征伐の契機に


徳川家康と決別した真田昌幸は、一旦は上杉、そして豊臣秀吉に臣従します。その豊臣秀吉は沼田の帰属問題の解決策として、沼田を3つに分け、その3分の2を北条に、3分の1を真田に与えます。これには昌幸も従い、3分の2を北条に明け渡しました。

ですが北条の方は、残った3分の1にも兵を差し向け、占領していまいます。ちなみにこのときは真田昌幸が守っていなかったため城を取られてしまっています。

これを豊臣秀吉は北条攻めの格好の口実とし、小田原征伐が始まります。これにより北条家は滅亡。その後の論功行賞にて沼田は晴れて真田家のものとなりました。


徳川幕府により再び領地を失う


関ヶ原の戦いにおいて真田昌幸は西軍に付いたため改易されてしまいます。そして東軍についた真田幸村の兄、真田信之が真田郷と沼田を継承し上田藩となりました。

ところが2代将軍徳川秀忠の時代に上田から松代(長野県松代町)に転封を命じられます。さすがに幕府に逆らうわけにはいかず転封を受け入れ、上田・沼田は真田家の土地ではなくなりました。ちなみにその後は仙石家が入っています。


「もう一つの真田の舞台」でまちおこし?沼田市


沼田市は大河ドラマが始まるということで「もう一つの真田の舞台」として売り出していくつもりのようですね。

沼田市ホームページに専用ページがありました。もう一つの真田の舞台 群馬県沼田市

甲冑を身にまとって練り歩いたり、真田家鉄砲隊の火縄銃演武もあるようで、見てみたいですね(^^

真田の赤備えは有名で、このイベントでも赤い甲冑を着ていますが、実は赤備えではない、という話もあるようです。下の記事でこれに少々触れています。

大河ドラマ『真田丸』で知らないほうが良い真実!? – 真田幸村は美丈夫ではなかった、本当の容姿は?


まとめ


真田家発祥の地は長野県上田市(旧真田町)です。

そしてもう一つ真田家と縁の深い場所が群馬県沼田市です。こちらは持ち主が二転三転して少々ややこしいですね。

どちらも今度の大河ドラマの場所ということで観光に力を入れていることでしょうから、訪れてみるのも良いかと思います。

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