大河ドラマ『真田丸』キャストと配役武将の紹介 – 武田勝頼役の平岳大さん

この記事の所要時間: 53

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大河ドラマ『真田丸』のキャストの紹介とその演じる武将についてまとめて行こうと思っています。初回は武田勝頼役の平岳大(ひら たけひろ)さんです。

大河ドラマを見る際の助けになったら嬉しいです!

※2016年1月11日に少し加筆しました。ちなみに第1話は忙しくてまだ見ることができていません。早く見ないと・・・。


平岳大さん


プロフィール


シス・カンパニー所属。以下はシス・カンパニーのHPからの引用です。

生年月日1974年7月27日
出身地東京都
サイズ身長 183 体重 74
免許普通自動車 自動二輪
特技乗馬 殺陣 フラメンコ



父親が俳優の平幹二朗さんとのことで二代目ということになるでしょうか。とはいえ小さい頃から俳優を目指していたわけではないようです。

15歳の時に渡米し、難関のブラウン大学を卒業。コロンビア大学の修士家庭を中退した後はエリートサラリーマンの道を一旦進んでいます。俳優の息子と呼ばれるのが嫌で、自分の実力を試したかったのだとか。

ですが27歳の時に俳優へと転身します。母親には大反対されるも、最後には認められたようです。

俳優としてのデビューは舞台『鹿鳴館』。この舞台ではなんと両親と共演。もっとも岳大さんが9歳の時に離婚していますので、割りと気まずいものが合ったかもしれませんね(私の勝手な想像です)。

もっとも2014年放送『医龍4』において、現実と同じ父子役で父幹二朗さんと共演しており、その際は演技について父親に相談するなど、親子の関係は良好なのではないかと思います。


出演作品(時代劇に絞る)


・大岡越前2(2014年10月~12月、NHK BSプレミアム) – 徳川吉宗 役
・木曜時代劇 風の峠〜銀漢の賦〜(2015年1月 – 、NHK) – 鷲巣角兵衛 役
・のぼうの城(監督 犬童一心・樋口真嗣 2012年11月2日公開、東宝 / アスミック・エース) – 長束正家 役 などなど


数多くの時代劇に出演されているベテランの方なので、演技力には大いに期待が持てそうですね。

次は平岳大さんが演じる武田勝頼についての説明です。簡単な説明に終止しているので一部分かりにくいところや語弊のある場所もあるかと思います。ご了承ください。


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武田勝頼公


相続後外征政策を取り、織田・徳川と対立


武田勝頼は武田信玄の四男として生まれました。1573年、武田信玄が西進の最中に亡くなり、武田信勝が家督を継ぐことになります。勝頼は信勝が成人するまでの後継人として実質的な当主となります。

父信玄が生きている間は防戦一方だった織田信長・徳川家康は、勝頼の時代には信長包囲網も崩壊しており、反撃に出ることができるようになります。

それに対して勝頼は、父信玄の外征を止め内政に徹せよという遺言を守らず、領土拡大政策を取ります。これは信玄も落とせなかった高天神城を落とすなど一定の成果を上げますが、両者の激突は時間の問題となりました。そして起こるのが長篠の戦いです。


長篠の戦い


1575年に起こった長篠の戦いは、無敵と言われた武田の騎馬軍団が、鉄砲の三段撃ちに敗れた戦いとして非常に有名なので詳しくは説明しませんが、この戦いで山県昌景、馬場信春、内藤昌豊などの有力武将や、真田家の嫡男(信綱)・次男(昌輝)も戦死する大敗を喫します。

ちなみに真田家三男であった昌幸は、この戦いで兄2人が亡くなったため、真田家を継ぐことになります。

大河ドラマ『真田丸』を楽しめる知識 – 真田昌幸は三男。真田家を継げたのはなぜ?


武田家宿老が次々と離反


この後、外交でも北条との関係を悪化させる失敗を犯し、織田・徳川・北条の3氏からの防衛を強いられます。この戦費と、新たな本拠とするための新府城築城のための年貢や賦役が領民に重くのしかかります。

それが人心の反感を招きました。木曽義昌の裏切りもその1つです。

木曽義昌は織田信長と通じ、織田軍を迎え入れます。勝頼は裏切った義昌を討とうとしますが地の利のある木曽勢に翻弄され、さらに織田軍が到着すると兵力差は歴然。やむなく兵を引き上げます。

そして武田家の、宿老中の宿老と言っても良い穴山梅雪(信君)もが勝頼を裏切り、徳川軍の侵攻に協力します。

この2人以外の武将、国人も勝頼を見限り裏切ったため、仁科盛信などごく一部の抵抗のみで織田・徳川・北条が領土を蹂躙。

武田家は一気に存亡の危機となります。


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真田昌幸の進言を受け入れず、その結果武田家は滅亡する


築城中の新府城にいた勝頼は落ち延びる場所を考えます。

ここで真田昌幸は自らの領地でもある岩櫃(いわびつ)城へ落ち延びて再起を図るよう勧めます。

ですが、重臣であり武田家の血縁でもあった小山田信茂が自分の居城、岩殿(いわどの)城へ落ち延びることを進言。勝頼は結局こちらの進言を採用し、新府城を焼き払い、岩殿城へ向かいます。真田昌幸はこの際に勝頼とは別行動をし、自領へ戻ったようです。

岩殿城へ近づく勝頼一行。しかしここでまたも悲劇が。なんと小山田信茂も勝頼を裏切ります。岩殿城へ勝頼が入ることを拒否。

やむなく勝頼は武田家ゆかりの天目山へ向かいますが、その途中、田野という場所で織田軍に追いつかれ自刃。このとき正式な世継ぎであった武田信勝も自刃しており、武田家は滅亡しました。

真田家はこの後独立した大名としての道を歩んでいきます。


まとめ


武田勝頼は評価が分かれている武将です。1つはあっという間に武田家を滅亡させた無能の武将として、もう1つは大きすぎる先代のプレッシャーの中奮闘するも及ばなかった悲劇の武将として。

『真田丸』ではどちらの姿が描かれるのか。落ち延びる際の真田昌幸の進言を受け入れないシーンがおそらくあろうと思うので、そこで判断ができるかもしれません。

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