大河ドラマ『真田丸』キャストと配役武将の紹介 – 北条氏政役の高嶋政伸さん

この記事の所要時間: 519

櫓

大河ドラマ『真田丸』キャストと配役武将の紹介第4弾。今回は北条氏政を演じる高嶋政伸さんです。

早速行きましょう。

高嶋政伸さん


プロフィールを公認サイトより引用します。

生年月日1966年(昭和41年)10月27日
出身地東京都
サイズ180cm B98 W85 H96 靴27.5cm
血液型B型
学歴成城大学 文芸学部 1993年卒業
趣味映画鑑賞、ジャズ・ドラム
特技スキューバダイビング、水泳
好きな俳優ロバート・ショウ、ウディ・アレン


高嶋政伸さんといえば「姉さん、事件です」のセリフを思い出す人も多いでしょう。ドラマシリーズ『HOTEL』でお馴染みのセリフですが、もちろんこれ以外にも多数の役を演じているベテランさんです。

以前(第3弾まで)のものもそうですが、『真田丸』は時代劇なので、過去出演作も時代劇で基本的に合わせています。

太平記(1991年、NHK大河ドラマ) – 足利直義 役
(省略)
秀吉(1996年、NHK大河ドラマ) – 豊臣秀長 役
(省略)
武蔵 MUSASHI(2003年、NHK大河ドラマ)- 柳生兵庫助 役
(省略)
天地人(2009年、NHK大河ドラマ) – 樋口惣右衛門 役

情報源: 高嶋政伸 – Wikipedia


省略ばかりで読みづらく恐縮ですが、大河ドラマだけを拾ってみました。かなり出演されていますね。もちろん大河以外の時代劇にも多数出演されていますが、きりがないので省略で。

後高嶋政伸さんといえば離婚騒動がありましたが・・・ゴシップ臭くなるので触れずに、あくまで俳優としての紹介にとどめておきます。再婚されましたし、幸せな家庭を築けるよう場末のブログから祈っております。

こちらの記事では、役作りのために19キロもの減量していたことが載っています。

俳優の高嶋政伸が、来年1月に復活するテレビ朝日系ドラマ『DOCTORS 3~最強の名医~』の役作りで、昨年7月期の前シリーズの頃から最大19キロの減量に成功していたことが12日、わかった。本人曰く、「僕は黒ブタからカモシカに生まれ変わった」とのこと。

情報源: ORICON STYLE


高嶋政伸さんに限らず、役作りのために体型を大きく変えたり、髪をゴッソリ剃ったりという話はわりとよく見かけますね。

しかし19キロとはすさまじい。役者魂を感じますね。


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関東の雄、北条氏政公


北条氏政は関東の覇権を手にした北条氏の4代目です。初代は下克上の代名詞とも言われる北条早雲。それから北条氏綱、北条氏康と続き、その次となります。ちなみに北条氏政の子、5代目は北条氏直で、これが最後の代となります。

この氏政の時代に北条家は最大の版図を手にします。ですが豊臣秀吉に逆らったため、小田原征伐の果てに改易(とりつぶし)となってしまいました。

ちなみに、1580年(本能寺の変の2年前)に子、氏直に家督を譲ってはいますが、実権は氏政本人が握ったままでした。

豆知識:後北条氏


戦国大名の北条氏は後北条氏とも呼ばれます。「ごほうじょうし」と読みます。

「後」があるということは「前」もあるわけです。これは鎌倉時代、執権として鎌倉幕府を運営した北条氏のことです。

後北条氏は執権の北条氏とは直接の関係が無いため、区別のために「後」が付けられています。

歴史家が付けたもので、当時の北条氏政などが自らを「後」と付けて名乗っていたわけではありません。

また居城があった小田原にちなんで小田原北条氏とも呼ばれます。


真田家との関わり


北条家は真田家と因縁が深いです。群馬県沼田市にある沼田城が因縁の地。そしてこの地が北条家滅亡のきっかけともなります。正直北条家にとり、真田家は疫病神と言っても良いくらいです(^^;

大河ドラマ『真田丸』で知っておいたほうが良い歴史知識 – 真田家ゆかリの地真田郷と、真田家獲得の地沼田

先ず、まだ武田家が存続していた頃、武田勝頼は領土拡大政策を取り、真田昌幸に北条家を攻めるよう命令します。そして昌幸は上野(群馬県)の沼田城を調略により無血開城させます。北条家は真田家によって沼田を失うこととなりました。これが因縁の始まりです。


一度は真田家を臣従させるも、裏切られる


時代はすすみ、武田家滅亡、本能寺の変が起こると、旧武田家領土をめぐって徳川・上杉・北条の3つ巴の争いがおこります(天正壬午の乱)。この最中に北条家は真田家を一旦は臣従させますが、真田昌幸はすぐに臣従先を徳川家康に乗り換えます。これは徳川家との戦いに北条家が敗北したことが大きいです。

裏切られ怒った北条氏政は真田昌幸を攻め立てますが、戦上手の真田昌幸を打ち破ることは出来ませんでした。


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その後徳川家と北条家の和睦が成立しますが、その条件の中に真田家の所有する沼田城を北条家に明け渡す、という項目があったため真田昌幸は徳川家康から離れ、上杉家に付きます。

そのため徳川家康は真田家に攻め入り、第一次上田合戦が始まります。北条家はこれに呼応して沼田城を攻め立てますが、これもまた攻め落とすことは叶いませんでした。


天下人豊臣秀吉に逆らい、滅亡


その後徳川家康を臣従させた豊臣秀吉が天下統一を着々と進める中、北条氏政は豊臣秀吉への臣従を拒否します。これで一時関係が険悪となりますが、秀吉は沼田の帰属問題を解決することで恩を売ろうとします。

その内容は沼田を3分割し、その3分の2を北条に、残り3分の1を真田に、というものです。これを両家が受け入れ、無事解決かと思いきや、残った3分の1をも北条家は占領してしまいます。これは北条氏政、氏直の指図ではなく、家臣(猪俣邦憲)の独断であったと言われています。

秀吉はこれを北条攻めの絶好の大義名分とします。こうして始まった小田原征伐の末北条家は降伏。北条氏政は切腹、氏直は高野山に追放されてしまいました。その後氏直は子を残さないまま亡くなり、直系が絶え、北条家は滅亡しました。ただし傍系は残っています。


まとめ


北条氏政は武田勝頼と同様に、北条家を滅亡へと追いやったことで評価が芳しくない人です。

真田家との関わりは非常に多いため、演ずる高嶋政伸さんを見ることは多いでしょう。幸村の時代となると姿を消すとは思いますが・・・。

演技に不安があるような方ではないですから安心して見れますね。

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